ママさんへの不満.........ん?
先日の番組で釣り対決みたいなことやっていた。
船の中央にナイナイの岡村人形が立っていたが、本人はあの番組を見ていないと思う。
っと言うか、見れないんじゃないのかな?
おそらく彼は『うつ病』なんだと思うんだ。
--------------私もその気があるんじゃないか?っと思う時がある--------------
椎間板ヘルニアで自宅療養してた最初の一ヶ月あたりだろうか?
この病気は人様々で、痛み方や痺れる箇所も十人十色だと聞く。
私の場合は、右膝周辺に激痛が走っていた。
ひどいときは、足の付け根から膝まであちらこちらが痛み出した。
ちょうど足全体が攣ったように痛いのだ。
痛み止めの飲み薬や湿布をしても全く効かない。
それもそうなのだ。なんでもない足が神経のいたずらで痛みを感じているだけなのだから
日に日に良くなるんだったら我慢もできるが、今日が良いと思うと次の日は以前より悪くなるのだ。
一番ひどかった一週間 夜になると眠いのに眠れない日々が続いた。
横になって痛くならない姿勢を探し求めること二時間 ここだ!っと思う頃には眠気がどこえやら
しゃーない!たばこでも吸うか?っと換気扇まで道のりを考える。
寝ている部屋からキッチンまで一気に歩けない。十歩が限界だった。
一旦ソファーで休憩し、換気扇下のイスに到着
洗ってあった包丁をジーっと見ていたこともあったっけ--------いかんいかんいかん--------
次の日から、必ず寝る前には包丁を見えないところにしまうことにした。
そんな日が10日も続き二週間目あたりには、夜にちょっとだけ寝れるようになった。
痛みが引いてきたというより、この病気(痛み)と折り合いがつくようになったんだと思う。
痛みに慣れてきたっと言ってもいいかもしれない。
あの魔の一週間 毎朝鏡に写っていた自分の顔は病人そのもので
子供たちもママさんも気を使っていたらしい。
あの頃は精神的に限界だった。心が折れそうになっていた。
だがそれ以上にママさんも限界を感じていたのを後から聞かされた。
『眠れなかった頃 うつ病になりそうだったなァ~』「何言っての?私の方がおかしくなりそうだったワ!?」
夜にニ時間でも寝むれるようになると、日中は元気になった。
昼飯の買い物に出かけるようにした。
だが、スーパー内を一周出来ないので、事前に買い物するコースを考えてから行くのだ。
葱を買ってから納豆を選ぶ振りしてしゃがんで休憩してか!っという感じ。
でも十歩を超えると激痛に襲われてしまい『具合でも悪いんですか?』と店員に声をかけられた。
それもそうだろう。膝をかかえて顔を真っ赤にしてしゃがんでいたんだから。
イイえ!って言えばいいところを『ハイ!でも大丈夫!もう少しで立てるから!!』って言ってたなァ~。
あの時期を乗り越えられたのは家族がいたからだ。
同僚も同じ病気で休んでいたが、遂にはうつ病になってしまい現場復帰できないでいる。
同僚の家族はよくわからない。
寝たきりの親がいるとは聞いた。
そうだ!俺はラッキーなのだ!!
本当は、ママさんへの不満! なんてタイトルで更新しようと半分まで仕上げていたが、
あの頃をふっと思い出し、こうして綴ってみると感謝こそすれ 不満なんてありまシェ~ん。
本当のところは『見られたらマズイ!』って感じたんだけど~ねェ!!
船の中央にナイナイの岡村人形が立っていたが、本人はあの番組を見ていないと思う。
っと言うか、見れないんじゃないのかな?
おそらく彼は『うつ病』なんだと思うんだ。
--------------私もその気があるんじゃないか?っと思う時がある--------------
椎間板ヘルニアで自宅療養してた最初の一ヶ月あたりだろうか?
この病気は人様々で、痛み方や痺れる箇所も十人十色だと聞く。
私の場合は、右膝周辺に激痛が走っていた。
ひどいときは、足の付け根から膝まであちらこちらが痛み出した。
ちょうど足全体が攣ったように痛いのだ。
痛み止めの飲み薬や湿布をしても全く効かない。
それもそうなのだ。なんでもない足が神経のいたずらで痛みを感じているだけなのだから
日に日に良くなるんだったら我慢もできるが、今日が良いと思うと次の日は以前より悪くなるのだ。
一番ひどかった一週間 夜になると眠いのに眠れない日々が続いた。
横になって痛くならない姿勢を探し求めること二時間 ここだ!っと思う頃には眠気がどこえやら
しゃーない!たばこでも吸うか?っと換気扇まで道のりを考える。
寝ている部屋からキッチンまで一気に歩けない。十歩が限界だった。
一旦ソファーで休憩し、換気扇下のイスに到着
洗ってあった包丁をジーっと見ていたこともあったっけ--------いかんいかんいかん--------
次の日から、必ず寝る前には包丁を見えないところにしまうことにした。
そんな日が10日も続き二週間目あたりには、夜にちょっとだけ寝れるようになった。
痛みが引いてきたというより、この病気(痛み)と折り合いがつくようになったんだと思う。
痛みに慣れてきたっと言ってもいいかもしれない。
あの魔の一週間 毎朝鏡に写っていた自分の顔は病人そのもので
子供たちもママさんも気を使っていたらしい。
あの頃は精神的に限界だった。心が折れそうになっていた。
だがそれ以上にママさんも限界を感じていたのを後から聞かされた。
『眠れなかった頃 うつ病になりそうだったなァ~』「何言っての?私の方がおかしくなりそうだったワ!?」
夜にニ時間でも寝むれるようになると、日中は元気になった。
昼飯の買い物に出かけるようにした。
だが、スーパー内を一周出来ないので、事前に買い物するコースを考えてから行くのだ。
葱を買ってから納豆を選ぶ振りしてしゃがんで休憩してか!っという感じ。
でも十歩を超えると激痛に襲われてしまい『具合でも悪いんですか?』と店員に声をかけられた。
それもそうだろう。膝をかかえて顔を真っ赤にしてしゃがんでいたんだから。
イイえ!って言えばいいところを『ハイ!でも大丈夫!もう少しで立てるから!!』って言ってたなァ~。
あの時期を乗り越えられたのは家族がいたからだ。
同僚も同じ病気で休んでいたが、遂にはうつ病になってしまい現場復帰できないでいる。
同僚の家族はよくわからない。
寝たきりの親がいるとは聞いた。
そうだ!俺はラッキーなのだ!!
本当は、ママさんへの不満! なんてタイトルで更新しようと半分まで仕上げていたが、
あの頃をふっと思い出し、こうして綴ってみると感謝こそすれ 不満なんてありまシェ~ん。
本当のところは『見られたらマズイ!』って感じたんだけど~ねェ!!